アンチエイジング最前線
「老化は治る」という新常識
解説
乾 雅人医師
プロフィール
銀座アイグラッドクリニック 院長
2010年、東京大学医学部卒業。同大学附属病院で初期臨床研修、外科専門研修を修了。同大学大学院の外科学(呼吸器外科)教室でラット肺移植モデルを用いた移植肺慢性期管理の研究に従事。2020年、銀座アイグラッドクリニックを開業。
WHOは老化は治療すべき疾患と位置づけている。
「老化は治る」。このような表現に対し、読者の方はどう感じるでしょうか? 怪しい。胡散臭い。というのが一般的な反応かと思います。
しかし、最先端の研究者たちの間ではもはや常識になりつつあります。2019年にWHO(世界保健機構)が公表したIDC-11という国際疾病分類の第11回改訂版にも、明確に“老化”の概念が盛り込まれています。老化とはもはや、人類が克服すべき治療対象の疾患と定められているのです。
「人類は老化という病を克服する」という共通認識を持つことは、極めて大きな意味を持ちます。歴史的インパクトを考慮すると、「地球こそが動いている」という地動説や、「人類は月に到達できる」というアポロ計画並みのインパクトではないでしょうか?
今まさに、医学の常識がひっくり返ろうとしている真っ最中。人類社会におけるグレート・ローテーションが進行中なのです。
老化は万病に共通するリスク要因
がんの中で死亡数1位は肺がんですが、タバコが原因で肺がんになる可能性があることは広く知られています。
男性ならばリスク4.8倍、女性ならばリスク3.9倍。受動喫煙でもリスク1.3倍と言われています。
このことを理由に、禁煙キャンペーンが打ち出されたり、政策にも反映されたりしている一方で、老化による肺がんのリスクを考慮するならば、リスクは100~1000倍というところでしょう。
事実、どんなに喫煙しても20歳で肺がんになることは極めて稀ですが、喫煙歴のない80歳の方が肺がんになることはよくあることです。
では、がん死亡数2位の大腸がんではどうでしょう?加工肉(ハムやソーセージ)の摂取によりリスクが上昇することが昨今、指摘されています。
それでも数割程度でしょう。どんな悪条件が重なっても、せいぜい数倍程度でしょう。一方で、老化を治療せずに放置することは、100~1000倍というところです。やはり、何を治療対象とし疾患を予防すべきかは自明です。
その他、生活習慣病(糖尿病、高血圧、脂質異常など)については、もっとわかりやすいでしょう。
細胞が老化して「老化細胞」となると、周囲に炎症を引き起こし、SASPと言われる症候群を引き起こします。
これは、内臓脂肪が周囲に炎症を引き起こし、生活習慣病を合併するメタボリックシンドロームに類似しています。
であるならば、炎症を引き起こす「老化細胞」を除去、あるいは、何かしらの作用でその炎症を鎮静化(抗炎症)させることで、生物学的年齢(biological age)を巻き戻すことが可能です。やはり、治療すべきは「老化」なのです。
もう、お気づきでしょう。老化とは、それ以外のリスク因子を無視できるほどにまで突出したインパクトを持つリスク因子なのです。
加えて、全リスク因子のなかで唯一、万病に共通するリスク因子でもあるのです。この、インパクトの大きさとカバー範囲の広さは、二重の意味で、極めて特殊な要因です。「人類は老化という病を克服する」という宣言の意義はここにあります。
老化の治療は先手に回った根本治療。
医療の現場で日常的に使用される薬剤は、実は臓器ごとでの「部分最適」な事例が多いです。
たとえば、血圧を下げる降圧薬。この薬は心臓にとっての負担を軽減しますが、脳への血流を低下させるために認知症を進行させます。
あるいは、心臓にとっては良いホルモンの作用が、腎臓に負担をかけることもあります。
総合病院の集中治療室(ICU)などで、それぞれの専門性を持った医師たちの意見が対立するのは日常茶飯事です。
西洋医学で確立されてきた薬剤の大半は「何かの効能を得るために、何かの負担を容認せざるを得ない」トレードオフの関係にあります。
それが、「老化の治療」においては、すべての臓器に対してトレードオフの関係が一切ありません。部分最適でなく、全体最適です。後手に回った対症療法でなく、先手に回った根本治療と言えるのです。
従来、「加齢≒老化」に伴って発症すると考えられてきたもの、たとえば糖尿病や高血圧などの生活習慣病、認知症、筋力低下(サルコペニア)、骨粗しょう症などの老年症(老年症候群)の大半を、一網打尽にできる可能性があります。
「加齢≠老化」と捉え、まずは老化を治療する。それでも残る症状に対し、従来の確立した医療技術を適用するのはどうでしょうか?
内科的疾患に対しては、老化の治療により機能低下を取り戻すのが第一段階。その上で、個々人の状態に応じて、従来の内科的加療を追加するのが第二段階になるべきではないでしょうか?
「人類が老化という病を克服する」世界。
想像してみてください、老化のない世界を。80歳を対象にしたレジャー産業、エンタメ産業が盛んになるのではないでしょうか。
子供に対する教育や、ペットなどの愛玩動物の需要もいっそう増えるでしょう。また、60歳が若いと言われるようになり、全社員が60歳以上のベンチャー起業なども当たり前になるかもしれません。
生命保険などの金融商品も再設計され、個人のキャリアの流動性、多様性は加速する一方ではないでしょうか。
このように社会の構造が根底から変わる世界観が提示されます。この大いなる流れの中で、一介の医師である私に何ができるのでしょう?
まずは、「老化は治療対象の疾患である」という「医学の常識」の変化を、一人でも多くの人たちに伝えることが責務だと考えています。